兄弟姉妹の皆さん、
文信俊三代王の原理講義シリーズの中で、「7分で分かる天一国合衆国憲法」のナレーションを添付します。
三代王のすべての原理講義の動画は以下のチャンネルで確認できます。
アボジ、カムサハムニダ!
統一教会には憲法があると聞いたことがありますか。このビデオでは、それを7分にまとめました。
最初に特筆すべきは、これは教会のための憲法ではなく、いつか、どこかで実際に存在する未来の国家の憲法だということです。この国家には国民がおり、国土があり、主権を有しています。
天一国憲法は自由主義的な君主制共和国で、その核心は神主義、生命主義、自由主義、銃器主義、そして反共産主義です。まず、君主制の側面に注目してみましょう。クリスチャンはキリストが再臨する時、彼が地上に天の御国を創建し、彼による永遠の君主制をもたらすと信じています。私たちは文鮮明という人物が再臨のキリストであると信じているため、彼の子孫であり後継者が王として立つことになります。王は存在しますが、この君主制は歴史上見られた邪悪で専制的なものではありません。
過去の歴史上の君主制には致命的な欠陥がありました。すなわち、王が政府の全権能(立法、行政、司法)を掌握していたことです。国王一人に大きすぎる権力が与えられていました。「権力は腐敗の傾向があり、絶対的権力は絶対的に腐敗する」というアクトン卿の有名な格言がありますが、この言葉通り、残念ながら歴史上では王が権力を濫用し、理不尽な法を立て、逆らう者は軍事力で粛清する例が数多く見られています。
過去の悪魔的主権とは対照的に、天一国の王は立法・行政において何の権能も持ちません。彼が持つ役割はただ司法において憲法を守り、聖典と伝統に根ざした天の文化を保持することです。たとえ王が堕落し邪悪な行いに走ろうとしたとしても、彼には軍を指揮する権限が無いため、大したことはできません。そればかりか、彼は他の二府(立法・行政)による激しい制約を受けるでしょうし、人々からの軽蔑や物理的抵抗も受けるでしょう。天一国では政府による軍の代わりに国民が自警団を組織するからです。これにより権力はさらに分散されます。腐敗した政治家が自分たちは何百万ドルもの利益を得ながら、他人の息子娘たちを不義の戦争に送りつけ無残に殺すことはもう起こりません。
次に天一国の共和制の側面を見てみましょう。ここで天一国憲法とアメリカ合衆国憲法とを比べてみると、決定的な違いがあることが分かります。まず第一にディープステートの形成を防ぐための任期期限があります。任期期限が無いと、腐敗した政治家が永続的に居座り、憲法に反した法を通過させ、人々に仇なすようになるからです。
さらに、下院(日本でいう衆議院)における権力の偏りを防ぐために、各議員はそれぞれ2100人の国民を代表することになります。議員が多くいることで国民が何を望んでいるのかより正確に把握でき、議員は国民に対して責任を持ち、誠実である必要があります。国の利益よりも国民の利益が第一優先となります。結局、政治家が有権者層からあまりに切り離されているためにディープステートが形成されるのです。例として、カリフォルニアでは52人の議員しかいませんが、これは75万人もの有権者をたった一人の議員が代表する、という計算になります。よって、任期制限に加え議員が数多くいることで権力は分散され、国民にその権力が与えられるのです。
この憲法は生命主義・家族主義であり、乳幼児の殺害を禁じ、神が定めた男女間の結婚を理想として掲げます。連邦政府は家庭内の教育に干渉することはできず、教育は民間団体が担うようになります。これは中央集権的な政府による教育は常に特定の思想を推進するようになるからです。政府が定めた思想により若者は政府に忠実な奴隷と化すのです。ただそれよりも家庭を守るために最も重要なことは、連邦レベルでの福祉を禁止し、民間団体にそれを託すことです。
アメリカの政策を例に取ってみましょう。1964年にジョンソン大統領が行った「貧困との闘い(War on Poverty)」と呼ばれた政策は60年にわたり22兆ドルを費やしましたが、それにも関わらず殆ど効果が見られませんでした。むしろ、無料福祉の提供は責任を必要としないために、乱交、結婚外セックス、離婚を促進し、社会の基盤となる家庭の秩序を崩壊させています。これは結果としてひとり親世帯を増やし、ホームレスや薬物依存、若者の自殺や問題行動を助長します(他の例:10代での妊娠、犯罪率、中絶など)。民間団体が福祉を担う時、提供されるサービス自体には現在のものと大きな違いは生まれないでしょう。しかし決定的に違うのは、その福祉には責任が伴うということです。
福祉と同様に、天一国では連邦政府による健康保険や教育も禁止されます(中央集権化されるため)。健康保険、教育、福祉の中央集権化が無くなれば、それらはかえってより豊富になり、充実するでしょう。一つのグループが独占を維持できなければ、自由市場は自然にそれらの価格を落とします。結果としてそれぞれに最も適した健康保険や教育を選べるようになり、価格も良心的なものになるでしょう。
すなわち、天一国では健康保険、教育、福祉が量的にも質的にもより優れたものが提供されるでしょう。そして最後に、それを受けるかどうかは国民に完全に委ねられています。権力の集中を防ぐために、天一国憲法は平時において議会の支出がGDPの10%を超えることを禁じます。また、中央指令型経済を防ぐために中央銀行も存在しません。経済学者アダム・スミスが唱えた「神の見えざる手」により自由市場の秩序は保たれるでしょう。
ここまで天一国の主要な仕組みとそれがもたらす自由について議論しました。約2世紀半前にトーマス・ジェファーソンが独立宣言(1776年)の中で記した「万民は平等につくられ、特定の譲ることのできない権利を創造主から与えられている」という言葉を私たちは信じています。よって天一国では権利章典が制定され、言論の自由、信仰の自由、そして武器所持の自由が認められるでしょう。
さらに、天一国憲法は議会が所得税、固定資産税、相続税を制定することを禁じます。お金を使う権利はそれを稼いだ国民達にあるべきです。天一国にはかつてないほどの自由があります。国民は社会の王と女王となり、政府はその召使として留まるのです。しかし、この自由には基本的に責任が伴います。自由だけを持つことはできません。
ホロコーストの生存者であり、著名な心理療法家であるヴィクトール・フランクルは自由と責任の関係についてこう書いています。「自由。この言葉は単独で完結できない。自由とは...真実の半分に過ぎない...自由は責任という観点を持たない限り、単なる身勝手さと成り果てる危険性が常にある。」よって、基本的に天一国は自由と責任の王国なのです。
このような信条から生まれる比類なき自由は「すべて良い木は良い実を結び」(マタイ7:16‐20)という聖句の証となるでしょう。キリストは王の中の王としてご自身の民が正義と良心により治める国を牧するでしょう。天の文化と土台とする神側の人々は繁栄し、神が人類に授けた本来の使命を果たすことができるようになるでしょう。この御国が来るまで、私たちクリスチャン(訳者コメント:日本人向けにするなら、”私たち食口”?)は「御国が来ますように、みこころが天にあるように地にも行われますように」と切に祈りましょう。
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