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執筆者の写真Jake Kwon

日曜礼拝のエチケットについて...真のお父様からのみ言

更新日:5月11日

グレッグ・ノール



兄弟姉妹の皆さん、

真のお父様は、日曜礼拝に対する私たちの態度に関して良い指導をしています。教会の建物で集会に参加するか、オンラインで参加するかに関わらず、これは父からの貴重な助言です。


早めに来て、心と魂を準備しましょう


 礼拝を捧げる時間は、祭祀を捧げる時間です。自分の過去を神様に贖罪しなければなりません。ゆえに礼拝の時間は、自由のない時間です。

 礼拝の時間に早く来た分は、神様のために捧げた時間となりますから、千金、万金を出しても買うことのできない価値があります。礼拝の時間は神様に捧げる時間であるために、その時間に遅れることは神様から盗みをすることと同じです。

 礼拝には決められた時間に来なければなりません。そうすることによって、それだけ神様の前に面目を立てることができます。そうなれば、きのうよりも良い心をもって天の前に近づくことができますが、遅れて来て、祈祷するときも目をパチクリさせながら、「先生はきょうどんなみ言を語られるか」と座っている姿を見ると、惨めで仕方がありません。


数日前から準備をしましょう


 神様の前に出て侍る場に、礼服を着ないで参席できるでしょうか。目に見える礼服ではありません。心情の礼服です。このように集まった皆さんのその心から、み言とともに賛美とともに感激した心情が流れ出てきたならば、天は皆さんを通して役事されます。

 礼拝時間のために、三日前から心を焦がして準備しなければなりません。万民の幸福を祈り、万民を蘇生させるための復活の権限と生命の因縁を結ぼうと苦悶しながら教会に入らなければならず、神様の前にのどの詰まるような心で礼拝に参席しなければなりません。それでも足りないのに、皆さんは行商人よりもずうずうしいのです。

 主日(聖日)礼拝の時は沐浴斎戒して神様の前に敬拝をして、聖地へ行って祈祷しなければなりません。たとえ訪ねてくる人がいなくても、神様がその部落を照覧されて役事することのできる心情的な基盤をつくっておかなければなりません。神様の前に一人祈祷し涙するという立場は、絶対に孤独ではありません。神様が共にあられるので、絶対に寂しくはないのです。皆さんが三年以上精誠を尽くしたにもかかわらず、その町で訪ねてくる人がいなければ、その町は滅びるのです。

 礼拝に来るにしても、ただ何も考えずに来るよりも、見えない心を尽くして一日、二日と、精誠を尽くした時間が長ければ長いほど光るのです。ですから見えないものが多いほどに、天が自分を保護し守ってくれるのです。


子どもたちにとっての良い手本になりましょう


 聖日の公的な集会に出席する模範とならなければなりません。礼拝に来るとき、子女たちがうらやましがってついてきたがるように、夫婦が一緒に仲良く来なければなりません。十時前に教会に来て、聖日の準備をしなければならないのです。

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